沙耶ルートの中でも理樹、恭介、真人、謙吾に囲まれる沙耶と並んで「謎」とされているのが
雪に埋もれていた沙耶が、最後には新緑に包まれる演出である。
注意!以下、ネタバレなんてもんじゃありません。
この部分は
・あやの回想シーン
・Saya’s song の歌詞
と合わせて考えることで、その意味が明らかになる。
以下、順番に見ていこう。
■考察
雪に埋もれていたり、新緑に包まれたりしているのは
あやではなく沙耶である
そんなもん画像を見れば明らかやろ!!
と突っ込みたくなるところかも知れないが、まずこれは前提なのだ。
ご了承いただきたい。
■考察
雪に埋もれていた沙耶が、新緑に包まれるのは
あやの現実世界での心の変化を表している
これを言いたいがための、最初の考察である。
沙耶は虚構世界におけるあやであり、あやの心を反映した存在に他ならない。
その沙耶の状態変化は、あやの心の変化を表していると言えるだろう。
しかも、沙耶の倒れている構図と
事故現場であやが倒れている構図は等しい。
ここから「事故で意識を失ったあや」の心境の変化を表していると考えられる。
■考察
雪に埋もれている沙耶は
「生きようとする心を失っているあや」を表している
なぜ「雪」なのか。
冬の日本だったから、事故現場でも雪が降ったのだ
と思うのは早計である。
事故にあったときの、あやの独白を思い出してみよう。
「右目だけで自分の体を見ると、何度も見た致命的とわかる出血があった。
不思議と痛くない。
けど、少しずつ自分から熱が逃げていくような感覚に襲われる。」
「寒い。
まるで雪に埋もれているようだ。
頭から足先まで冷たくて・・・
生きようとする心までも凍っていくようだ。
もうあたしは助からない。
そんな気がした。」
あやは自分の体にかぶさった土砂と降りしきる雨を
「雪に埋もれているよう」に感じていることが分かる。
そして「生きようとする心までも凍っていく」感じを持ちながら意識を失うのである。
Saya’s song では、それを
それはもう雪のような冷たさで
この心の熱を徐々に奪ってく
と表現されている。
ここでいう「心の熱」とは「生きようとする心」であることが分かる。
すなわち、意識を失った時点でのあやは
「生きようとする心」を失い、「もうあたしは助からない」と思っていたのである。
その「生きようとする心」を失った状態を
雪で表現されているのだろう。
■考察
新緑に包まれる沙耶は
「生きようとする心を取り戻したあや」を表している
○雪に埋もれた沙耶 = 生きようとする心を失ったあや
とすれば
○その雪が溶けた状態 = 生きようとする心を取り戻したあや
と解釈できるのではないだろうか。
正直、この考察については論拠が不十分であることは否めないが
決して突飛な推論ではないと思う。
まとめると
■考察
雪に埋もれていた沙耶が、新緑に包まれるのは
生きようとする心を失っていたあやが
虚構世界での出来事を通じて、
生きる気力を取り戻したことを表している
と言い得るだろう。
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